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札幌地方裁判所 平成5年(ワ)1513号 判決

原告

塩田健二

株式会社ロベ

右代表者代表取締役

正木昌良

右両名訴訟代理人弁護士

内田信也

被告

株式会社はるやまチェーン

右代表者代表取締役

治山三男

右訴訟代理人弁護士

橋本昭夫

小嶋保則

大川哲也

花形満

主文

一  被告は、原告塩田健二に対し、二一八万五九一六円及びこれに対する平成五年七月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告株式会社ロベに対し、二六六万二五八三円及びこれに対する平成五年七月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、原告塩田健二と被告との間においては、原告塩田健二に生じた費用の六分の五と被告に生じた費用の五分の二を原告塩田健二の負担とし、原告株式会社ロベと被告との間においては、原告株式会社ロベに生じた費用の五分の四と被告に生じた費用の五分の二を原告株式会社ロベの負担とし、その余は被告の負担とする。

五  この判決は、一、二項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  原告らの請求

一  被告は、原告塩田健二に対し、一二〇六万八一八三円及びこれに対する平成五年七月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告株式会社ロベに対し、一三四〇万三二四四円及びこれに対する平成五年七月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、被告が札幌市内郊外に新規開店した衣料品等専門の小売店舗ビル内の各一画を賃借して飲食店として入居し営業していた原告らが、被告は賃貸借契約を締結する前に原告らに対し営業が成り立つだけの集客を保証したのに集客できず、また、賃貸借契約を締結するにつき告知説明すべき重要な事実を告知することを怠り右契約を締結する上で過失があったとし、これにより被った損害のうち賃貸借契約が終了して右ビルから退去した際の引越費用と飲食店営業のため投入した資本のうち什器備品及び店舗内装工事費用の右終了時における帳簿価格相当額の賠償と敷金の返還、及びこれらに対する訴状送達の日の翌日以降の遅延損害金を請求するのに対し、被告は原告らに原状回復義務違反があるとしてその損害賠償請求権をもって原告らの右請求権と対当額で相殺すると主張する事件である。

一  争いのない事実

1  当事者

(一) 原告塩田健二(以下「原告塩田」という。)は、小樽市色内一丁目において「樽そば」の商号で「手打蕎麦庵」を経営する者である。

(二) 原告株式会社ロベ(以下「原告ロベ」という。)は、喫茶店及びレストランの経営等を目的とする会社であり、本店所在地(札幌市手稲区)においてパフェレストラン「ネバーランド・ロベ」を経営している。

(三) 被告は、紳士服及び婦人服の製造販売、服飾品の製造販売、衣料品の販売等を目的とする会社であり、郊外立地型の紳士服量販店を多数出店し、平成二年当時紳士服等の売上高は北海道内では業界第一位である。

2  賃貸借契約締結に至る経緯

(一) 別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)は、札幌市内郊外に位置し、桑田正が所有していた当時、飲食店ビル「タピオラ」として営業していたが、その後全館閉店となり、二年間位は廃墟のような状態になっていた。被告は、平成二年四月本件建物を買い受けて直営の衣料品等専門の小売店として営業することとし、同年一二月、ショッピングビル「マッシモ山の手」として開店した。

(二) 被告は、マッシモ山の手の開店に先立ち、本件建物に同店にふさわしい飲食店を賃借人として誘致して入居させることとし、入居者を募集した。

3  賃貸借契約の締結

原告らと被告は、被告を賃貸人、原告らを賃借人として、本件建物内の各一画につき次の内容の賃貸借契約(以下「本件賃貸借契約」という。)を締結し、原告らは被告に対し、それぞれ敷金三八〇万円を交付し、原告塩田は、「手打そば真々庵」を、原告ロベは「レストラン&パフェMISTY・ROBE」(以下「本件各店舗」という。)を営業してきた。

(一) 原告塩田の契約

締結日 平成二年一〇月三一日

物件 本件建物一階の一画66.584平方メートル

期間 平成二年一一月一日から平成五年一〇月末日まで

賃料 ①開店後一年間は毎月一四万円

②二年目は毎月純売上高の九パーセント

③三年目は毎月純売上高の一〇パーセント

敷金 三八〇万円

原状回復 賃借人が物件の明渡しを行う場合、賃借人が物件内外の改造、模様替、増設等により原状変更を行ったときは、賃貸人の選択により原状に復すかあるいは現状のまま返還するものとする。原状に復するときの費用は賃借人の負担とする。

(二) 原告ロベの契約

締結日 平成二年一〇月二四日

物件 本件建物一階の一画66.196平方メートル

期間 平成二年一一月一日から平成五年一〇月末日まで

賃料 ①開店後一年間は毎月一六万円

②二年目は毎月純売上高の一〇パーセント

③三年目は毎月純売上高の一一パーセント

敷金 三八〇万円

原状回復 賃借人が物件の明渡しを行う場合、賃借人が物件内外の改造、模様替、増設等により原状変更を行ったときは、賃貸人の選択により原状に復すかあるいは現状のまま返還するものとする。原状に復するときの費用は賃借人の負担とする。

(以下、本件賃貸借契約に定める原状回復の約定を「本件原状回復の約定」という。)

4  賃料の支払と賃料額

(一) 原告らは、いずれも被告に対し、本件賃貸借契約の賃料につき、平成五年三月三一日までの分を支払った。

(二) 本件賃貸借契約の平成五年四月一日における月額賃料は、原告塩田につき九万八〇〇〇円、原告ロベにつき一一万二〇〇〇円である。

二  争点

1  集客保証契約不履行の有無

(一) 原告らの主張

原告らと被告は、本件賃貸借契約締結と同時に、その付随契約として、被告が原告らに対し、原告らの責に帰すべき事由により集客できないのでない限り、原告らが本件各店舗においてその営業を継続することができる利益を上げることのできる程度の集客を保証し、もしそれができない場合には、原告らに生じた損害を賠償することを内容とする集客保証契約を締結した。しかし、被告は、右義務を履行せず、原告らが営業を維持することができる程度の集客をすることができなかった。

(二) 被告の主張

原告らの主張する集客保証契約を締結したことはない。

2  契約締結上の過失の有無

(一) 原告らの主張

原告らは本件建物の集客力に不安を抱き、本件賃貸借契約を締結して本件建物内に出店するか否かについては、マッシモ山の手がショッピングビル全体として原告らの本件各店舗の営業を維持することができる程度の集客力があるか否かに最大の関心を持ち、検討した。しかし、被告は、本件建物を平成二年一二月には部分開店に止どめ、その一年後に全面改装して全館開店する方針を決定していたのに右集客力に決定的に違いをもたらす右方針決定を秘し、原告らに対し、その右不安と関心を知りながら、平成二年一二月に全館開店するかのように装い、集客を確約してマッシモ山の手に出店するよう勧誘した。このため、原告らは平成二年一二月に本件建物が全館開店するものと誤解し、これを前提に出店を決意して本件賃貸借契約を締結することを決意した。

したがって、被告には、信義誠実の原則に照らし、本件賃貸借契約締結の過程において告知説明すべき重要な事実を告知しなかった過失があったというべきである。

(二) 被告の主張

本件建物は、平成二年一二月開店時においては、大規模小売店舗における小売業の事業活動の調整に関する法律(以下「大店法」という。)の規制から、床面積のうち、小売業として使用できる部分は五〇〇平方メートル以下に限定され、その余の部分は小売業以外の飲食店等として使用しなければならなかった。被告は、右その余の部分に飲食店を入居させるべく企画して募集し、原告らと契約した後も更に募集する可能性があったが、結果的に開店時までには入居者が埋まらなかったにすぎない。原告らは、本件賃貸借契約締結に際し、被告から原告ら以外の者とも飲食店の出店交渉をしていること、建物全体の運営方針等を聞いていたが、積極的に他の確定している入居者や建物全体の店舗計画を聞こうとはしなかった。全面改装して全館開店することは、本件建物の五〇〇平方メートルを超える部分が結果的に飲食店で埋まらなかった場合に、小売業として使用する面積を広げるほか、建物の等級を上げ、集客力を増すための改善措置として計画されたことである。そうすると、被告には、契約締結につき過失はなかったというべきである。

3  本件賃貸借契約終了の原因、時期と明渡時期

(一) 原告らの主張

(1) 原告らは、平成五年三月三一日、被告に対し、信頼関係破壊を理由として、同年四月一四日限り本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。

(2) 原告らは、同年四月一二日、被告に対し、本件各店舗区画を明け渡した。

(二) 被告の主張

(1)ア 原告塩田の契約終了時期

本件賃貸借契約にはその契約期間内にあっても原告塩田は六か月の予告期間をもって右契約を解除することができる旨の約定があるから、これにより、原告塩田との賃貸借契約は、その解除の意思表示をした平成五年三月三一日から六か月が経過した同年九月三〇日をもって解除となった。

イ 原告ロベの契約終了時期

被告は、平成五年四月二八日、原告ロベに対し、その同年三月三一日の解除の意思表示を合意解約の申入れとして受け入れる旨の意思表示をしたので、原告ロベとの契約は同年四月二八日合意解約により終了した。

(2) 被告は、平成五年四月一二日、原告らから本件各店舗の鍵の返却を受けたが、本件賃貸借契約終了に伴うものではなく、管理上の都合により返却を受ける旨の留保を付して受領した。

4  損害額

(1) 原告塩田の主張

引越費用 二一万〇九四四円

什器備品及び店舗内装工事費用の減価償却後の帳簿価格

八〇五万七二三九円

(2) 原告ロベの主張

引越費用 三七万円

什器備品及び店舗内装工事費用の減価償却後の帳簿価格

九二三万三二四四円

5  原状回復義務の有無と損害額

(一) 被告の主張

(1) 被告は、原告らからの退去の申入れに対し、本件原状回復の約定により、原状に復して明け渡すよう求めた。なお、原告ら主張の残置設備等は原告らの便宜のためのもので客観的便益を与えるものではないから造作に当たらない。

(2) 損害額

原告塩田の原状回復費用 三二七万四五〇〇円

原告ロベの原状回復費用 一〇三万二八八四円

(二) 原告らの主張

(1) 原告らは、本件各店舗区画明渡し時点において残置したガス・水道設備及びカウンター等につき、被告に対し借地借家法附則四条によってその効力を妨げない借家法五条により造作買取請求の意思表示をしたので、原状回復義務は発生しないし、右義務があるとしても原告らに対し原状回復費用を請求するのは権利の濫用である。

(2) 原告らの各原状回復費用は、高くとも五〇万円程度である。

第三  争点に対する判断

一  認定事実

証拠によれば次の事実を認めることができる。なお、証拠は、証人近野良一、証人田中紀行、原告塩田健二、原告株式会社ロベ代表者正木昌良の各供述、甲第二五、第二六号証を認定事実全部の認定に供したほか、各項認定事実末尾にその認定に供した証拠を掲記した。

(一)  本件建物の運営と集客方針

(1) 被告は、郊外立地型の紳士服量販店として急速に店舗数を増やし急成長を遂げた企業であり、北海道では紳士服等の売上高業界第一位の著名な会社である。

(2) 被告は、本件建物を平成二年四月購入し、リサーチ会社に依頼した本件建物に適当な業種等に関する調査の結果を参考にしたりした上、これを被告の既存店舗にはない特徴をもった特殊な店舗として運営することとし、更に種々検討を重ねた結果、平成二年八月頃、「男の館」というテーマのもとに、有名ブランド品や既存店で扱うものよりやや高級な紳士用品を専門に扱う小売店舗を「マッシモ山の手」として運営する基本方針を決定したが、具体的な営業内容はなお検討を続けた。

(3) 被告は、本件建物について、同年六月頃からは、営業企画部長近野良一(以下「近野部長」という。)を責任者として開店準備にとりかかったが、大店法の規制に照らし、これに定める手続を経て第二種大規模小売店舗として五〇〇平方メートルを超える床面積を小売業として使用することができるようになるまでに少なくとも一年以上かかると想定し、それまでの間、被告が小売業として使用する床面積を五〇〇平方メートル以下に抑えるほか、その余の部分を賃貸して飲食店を入居させることとし、その誘致を営業企画部課長田中紀行(以下「田中課長」という。)に担当させた。

(4) 被告は、本件建物の集客をマッシモ山の手の物品販売部門と飲食店の全体で行うことにより本件建物運営収益を確保することとし、この見地からマッシモ山の手にふさわしい特徴ある飲食店を募集し、賃料設定することにした。

(5) 郊外に立地するショッピングビルに入居する飲食店は、独自色を出すことを限定され、その営業は、自らの集客力によるほかビル全体の集客力に依存する部分が大きいところ、本件建物に入居する飲食店についても、その立地等に照らし、本件建物全体、特にマッシモ山の手の物品販売部門の集客力に依存する部分が相当大きな比重を占めると見込まれた。

(二)  本件賃貸借契約締結に至る経過

(1) 原告塩田は「手打蕎麦庵」を、原告ロベは「ネバーランド・ロベ」を営業し、いずれも相応の評価を受けていた。

(2) 被告は、紹介を受けた原告らを本件建物に飲食店として誘致することにし、原告塩田及び原告ロベ代表取締役正木昌良(以下「正木」という。)に対し本件賃貸借契約締結までの間、数回説明する機会が持たれた。その際、近野部長や田中課長は、本件建物の運営方針につき、郊外型の紳士服量販店を営む被告が、「男の館」をテーマに始めて有名ブランド品も揃えてやや高級品指向の紳士用品を対象とした店舗として運営することになったことなどを説明したが具体的内容はなお検討中であったことや企業秘密の見地から説明せず、原告塩田や正木がかつて本件建物で営業された飲食店ビル「タピオラ」の経営失敗などを指摘して本件建物の集客力や飲食店として経営が成り立つ程度の売上獲得に不安を述べたのに対し、リサーチ会社に依頼した旨の話や多様な媒体を使って広告宣伝に努めるなど集客を高める努力はする旨の話がなされた。なお、集客について、原告塩田や正木からはどの程度の売上が欲しいとの話が出たことはあったがどの程度の集客が可能かなどの具体的な質問がなされたことはなく、他方、近野部長からも集客につき具体的な数字等をあげて説明したことはなかった。また、原告塩田は、正木同席のもとで、万一経営的に破綻した場合の保証として、賃貸借契約の特記事項として造作等を被告が買い取るなり原告塩田が転売できる条項を入れて欲しいと要望したが、近野部長は、この要望を拒否する一方、被告が経営する以上安心して欲しい旨の趣旨の言葉を述べた。

(3) 原告塩田は平成二年一〇月三一日、原告ロベは同月二四日、それぞれ被告との間で、本件建物の各一画について本件賃貸借契約を締結した。

なお、その賃料月額は、当初一年間は定額で坪七〇〇〇円、二年目以降は売上高に対する九ないし一一パーセントの一定比率とされたが、これは、被告としては当初は賃借人に負担をかけないとの配慮から一年目は相場より安く定額で設定し、二年目以降は全面改装して大店法の第二種大規模小売店舗として小売業で使用する床面積を増やすことも予定するなど本件建物全体を活性化して集客を高めることから収益が増えると想定し、売上高に一定比率を乗じた額と設定したものであった。

(三)  本件建物開店とその後の経過

(1) 被告は、本件建物を一億三〇〇〇万円程の費用をかけて改装して平成二年一二月マッシモ山の手を開店し、開店時までに飲食店として入居契約を締結した原告らの本件各店舗ほか一店舗(喫茶店カレッセ)も同時開店に及んだが、原告らとの契約締結前後に他に飲食店入居交渉をしていた二名の入居が得られなかったこともあって、本件建物一、二階にはなお小売業や飲食店として使用しない床面積部分が生じ、被告は、この部分に絵画を飾ったり、倉庫として使用したりして対応した。

なお、本件賃貸借契約締結当時、原告らがそれぞれ賃借した店舗区画部分の状態は、床、壁及び天井はいずれもコンクリートむき出し、水道施設は立ち上がりまで(室内の配管は行われていない)、若干の換気設備があるという、いわゆるスケルトン状態であった。原告らは、右の状態の右各店舗区画部分に、各々の業態に応じた内装、配管等の工事を自らの費用で施し、什器備品等を購入し取り揃えて入居した。

(甲第八、一〇号証、第一六号証の一、二、証人中山峰生)

(2) 被告は、本件建物開店以降、ダイレクトメールの送付、テレビ・ラジオのスポット広告放送(不定期)、新聞に折り込み広告ちらしを入れる(開店当初は月二回、その後二箇月に一回程度)などによりマッシモ山の手の宣伝広告に努めた。なお、広告ちらし等には、原告らの店舗名等が印刷されたものもあったが、一切の広告費用は被告において賄った。

ところで、原告塩田は、平成三年四月、真々庵店舗外に独自に宣伝用の旗を数本立て並べたところ、被告から二本に限るよう求められたことがある。(甲第七号証)

(3) 本件建物の開店後、マッシモ山の手及び入居した各飲食店の集客は開店直後一か月程度は相応にあったものの、その後は主にマッシモ山の手の紳士物高級品指向の戦略の失敗から被告が期待した程度より遥かに少ない状況となり、被告及び原告らは毎月の収支がほぼ一貫して赤字となる経営状態が続くようになった。

(乙第五、第六号証の各一、二)

(4) 原告らは、平成三年二月頃から近野部長や田中課長に対し飲食店の経営が赤字であることにつき不満を述べたりしていたが、みずから売上や収益等の経営状態を示す資料を示したことはなく、平成三年七月か八月頃、被告から家賃額検討のため資料の提出を求められてこれを提出した。

(甲第一三号証)

(5) 被告は、本件建物を当初平成二年一二月頃に二、三千万円程度の費用をかけて全面改装することを予定していたが、予想外に少ない集客を高め、業績を上げるためにはどのような商品を取り扱えばよいか調査し検討を重ねたため当初の予定よりも遅れることになった。そこで、被告は、原告らの各飲食店の経営状態と不満を考慮し、原告らに対し平成三年一一月一日から当初約定の固定賃料額(原告塩田は一四万円、原告ロベは一六万円)の三割引とすることを申し出、原告らとその旨合意した。

(甲第一四号証)

(6) 原告塩田は平成三年一〇月分から、また、原告ロベは平成三年九月分から賃料(原告塩田は月額一四万円、原告ロベは月額一六万円として)、共益費のほか水道、ガス、電気の使用実費額を滞納し、それぞれ被告から、平成四年二月一日配達の内容証明郵便により右支払の催告のほか、右支払がない場合には賃貸借契約を解除することになる等の通知を受け、原告らは右滞納分を支払った。

(乙第三、第四号証の各一、二)

(7) 被告は、本件建物の全面改装を平成四年一〇月から開始し、同年一一月一八日には一部を残して完了し同月二〇日新装開店した。なお、その費用は当初予定よりも相当多くかける結果となった。この開店以降、マッシモ山の手では従来の紳士用品に加えて婦人服、カジュアル用品、雑貨等も取り扱うようになり、売上高は右改装前に比べ二倍以上になったが、毎月の経常収支が赤字である状況は変わらず、また、原告らの本件各店舗の集客及び営業状態には格別変化はなく、依然毎月の経営収支は赤字となる状態が続いた。

(甲第一五、第二二号証、乙第六号証の一、二)

(四)  原告らの退去と原状回復費用等

(1) 原告らは、全面改装後も赤字経営が継続したことから、被告に対し、それぞれ平成五年三月三一日配達の内容証明郵便により、信頼関係破壊を理由として同年四月一四日限り本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をするとともに、什器・備品等につき被告に買取りの意向があれば連絡して欲しい旨連絡し、営業を終了して、同年四月一二日、被告に対し本件各店舗の鍵を交付した。被告は、原告らに対し、いずれも同年四月一〇日配達の内容証明郵便で、原告らの解除の意思表示を本件賃貸借契約期間内における解除の申入れとして受け入れることにしたので契約は同年九月三〇日をもって終了すること、什器・備品等を買い取る意思はなく、本件原状回復の約定により、それぞれ本件各店舗部分を原状に復して明け渡すよう求める旨通知し、また、右鍵の交付を受けるに際し、本件賃貸借契約終了に伴うものではなく管理上の都合により返却を受ける旨を述べた。なお、本件賃貸借契約には契約期間内にあっても原告塩田は六か月の予告期間をもって右契約を解除することができる旨の約定がある。

その後、被告は、同年四月二八日配達の内容証明郵便により、原告ロベに対し、その同年三月三一日の解除の意思表示を合意解約の申入れとして受け入れる旨の意思表示をした。

(甲第二、第三号証、乙第一〇ないし第一二号証の各一、二)

(2) 原告らは、什器・備品を撤去したものの原告らが設置等したガス・水道設備、カウンター等を残置した状態で放置した。このため、被告は、本件各店舗部分を原状に回復するための費用を工事業者数社に見積もらせたところ、このうち佐竹建設株式会社の平成五年四月七日付け見積書では、原告塩田の店舗部分につき三二七万四五〇〇円、原告ロベの店舗部分につき三二九万六二〇〇円(いずれも消費税相当額を除く。)であり、その後原告ロベの店舗部分のみを見積もらせた丸金佐々木建設株式会社の見積金額は一四〇万円(消費税相当額を除く。)であった。そこで、被告は、原告ロベの店舗部分につき最も見積金額の安い丸金佐々木建設株式会社に工事を請け負わせ、原告ロベが残置した設備等を撤去するなどしてスケルトン状態の原状に回復し、その出来高を一〇〇万二八〇〇円(消費税相当額込みで一〇三万二八八四円)と合意し、これを同年七月一五日送金して支払った。なお、原告塩田の店舗部分は、原告ロベの店舗部分よりも床部分が剥離しにくい資材を使用しているため、原状回復のための工事代金は、後者の代金よりも前者の代金のほうが若干高いと見込まれる。

(甲第一六号証の一、二、乙第一、第二、第七号証、第九号証の一ないし三一、証人中山峰生)

二  争点1(集客保証契約不履行の有無)について

争いのない事実及び認定事実(以下「認定事実等」という。)によっては、原告らが主張する集客保証契約が締結されたと認めることはできない。その理由は次のとおりである。

確かに、認定事実等によると、被告から本件建物に飲食店を出店する誘致を受けた原告らが経営が成り立つ程度の集客が得られるかにつき不安を抱いていたこと、原告塩田は、万一経営的に破綻した場合をおもんぱかり、本件賃貸借契約を締結するに先立ち、その特記事項として造作等を被告が買い取るなり転売できる条項を入れるよう要望したこと、近野部長は原告らに対し被告が経営する以上安心して欲しい旨の趣旨の言葉を述べたことなどの事実も認められるが、他方、原告塩田の右要望は原告らが主張する集客保証と内容の同一性に疑問があるばかりか、被告から拒否され、本件賃貸借契約の条項に盛られなかったこと、原告らは、近野部長に対し集客につきその人数等具体的な質問をしたことはなく、また、近野部長もその具体的な説明をしたことはないこと、原告らは、本件賃貸借契約締結以降二年以上にわたり、現に集客が得られないためほぼ一貫して赤字経営を続けながら、遅滞することはあっても被告に対して賃料を支払っていたこと、近野部長が原告らに対し被告が経営する以上安心して欲しい旨の言葉を述べた点も被告として原告らに対し何らかの具体的な保証をしたものとは認め難いこと、以上の事情も認められ、後者の事情に照らすと、前者の事実から直ちに原告ら主張の集客保証契約が締結された事実を認めることはできない。

三  争点2(契約締結上の過失の有無)について

被告に本件賃貸借契約を締結する過程において、原告らが主張するような過失があったということはできない。その理由は次のとおりである。

信義誠実の原則は、契約関係にも適用されるべきであるから、契約締結関係に入った当事者は、契約を締結する過程において、相手方が意思決定する原因となる重要な事実を信義則に反して故意又は過失により告知説明せず、これにより相手方が損害を被った場合には、その損害を賠償すべき責任を負うと解される。

認定事実等によると、原告らが郊外に立地するショッピングビルである本件建物の集客力に関心を持つとともに、その過去タピオラとしての失敗の経緯等から集客力に不安を抱き、このため被告の誘致に応じて本件建物に飲食店を出店した場合にその経営が成り立つ程度の集客が得られるかにつき不安を抱いていたこと、本件建物は、平成二年一二月における新規開店時において、その一、二階の商業使用可能な床面積の大半は小売業及び飲食店として使用されたが、一部は商業使用されなかったこと、被告は右開店してから一年以上後になるとは想定しながらもその頃には全面改装して右商業使用していない床面積部分を小売業に有効使用する予定であったこと、本件建物の集客力は全面改装前後では異なり後者の集客力の方が大きいこと、原告らの経営が成り立たなくなった原因は集客が少なかったことが最大の原因と考えられること、以上の事実を認めることができ、これらの事実によれば、被告の新規開店と全面改装方針に関する事実は原告らが本件賃貸借契約を締結するか否かの意思決定をするために重要な事実であるということができる。

しかし、被告が原告らに対し右の事実の説明をしなかった事実については、これに沿う原告塩田健二及び原告ロベ代表者正木の各供述部分は証人近野良一の証言に照らし直ちに採用できず、他にこれを認めるに足りる的確な証拠はなく、また、被告が原告らに対し新規開店時に全館開店するかのように装った事実については、これを認めるに足りる証拠なく、さらに、被告が原告らに対し出店を勧誘するに際し集客を確約した事実を認めるに至らないことは前記のとおりである。

また、認定事実等によると、原告らは被告に対し集客についての具体的な質問をしたことはないほか、被告からも具体的な説明をしたことはなかったこと、本件建物の新規開店時、一部商業使用されない床面積部分が生じたのは、本件建物は新規開店時、大店法の規制から小売業には五〇〇平方メートル以下の床面積しか使用できないという客観的制約があり、被告は右開店時小売業に使用できない部分を飲食店として使用することにしたほか、第二種大規模小売店舗として営業できる時期を待って本件建物を全面改装し小売業部分を増床することを予定したという事情によるが、右開店時どの程度商業使用されない部分が生じることになるかは飲食店として入居勧誘し交渉していた者のうちどの程度の者が出店に至るか不確実な要素があったこと、原告らは被告の本件建物運営方針について本件建物がその主要な床面積部分を被告の直営店舗マッシモ山の手として運営されること、マッシモ山の手のテーマは「男の館」であり、やや高級指向の紳士用品を専門に扱うこと、特徴ある飲食店を入居者として誘致していることなどその基本的な点を本件賃貸借契約締結に先立って近野部長や田中課長から説明を受けて認識していたこと、賃料は当初一年間は相場より安い定額に、二年目以降は売上収益が増えるとの想定で売上高に対する定率に設定されたこと、実際の本件建物の新規開店時の状況とその運営は、被告担当者の右説明に沿う上、新規開店当初、直ちに被告が商業使用しなかった部分も床面積全体から見れば一部であって、この部分の一部も絵画を飾るなど相応の体裁を整える配慮をし、本件建物全体としてもショッピングビルとしての体裁を整えたこと、また、原告らは新規開店直後このような体裁を認識しながら、それ自体につき被告に格別の苦情を述べた形跡はないばかりか、訴状においても右の点を被告の過失と指摘しておらず、右の点を指摘する主張は本訴において証人等の尋問が全て終了した後に始めてなされたこと(この経過は当裁判所に顕著である。)、全面改装前後では被告の売上高に顕著な差があるが、これは小売業の増床効果のほか、婦人服等取扱品目を増やしたこと等種々の要因が考えられ、ただちに右増床効果のみによるとはいえない上、集客力の点では少なくとも原告らの本件各店舗は全面改装以降も集客や営業状態に格別の変化はなく、右改装以降間もなく本件建物から撤退したことに照らしその経営上の観点から必ずしも有意的な差異があるかは必ずしも明らかではないこと、そもそも本件建物は、主に被告が多額の取得費用と改装費用をかけ、その主要な部分を被告の小売業として使用するショッピングビルであり、しかも被告が従来多数出店していた紳士服量販店とは異なる特徴を持たせ、初めて高級品を志向した店舗であるから、集客については被告自身も強い関心を持つことは当然、一面不安を持ちつつもそれなりに期待し自信も持ち、集客のため新規開店以降宣伝広告にもそれなりに努めたが、客観的には運営方針の失敗により新規開店に先立つ予想や期待に反して集客が少なかったことに尽き、新規開店時における建物使用状況によるものではないこと、以上の事実も認められる。

そして、後者の事実をも総合すると、原告らが本件建物に飲食店を出店するか否かを集客の観点から検討するに際して重要な客観的事実には、新規開店時には部分開店とし一年後に全面改装して全館商業使用するとの被告の使用方針に関する事項のほか、本件建物の立地、規模、過去の経緯や被告の主要な運営方針があげられるが、このうち相対的に重要性の高い事実は後者の事実であるところ、原告らは本件建物の立地、規模、過去の経緯については被告から説明を受けるまでもなく認識し、また、被告の主要な運営方針については被告から説明を受けて認識しており、他方前者の使用方針に関する事項は相対的には重要性の低い事実であるうえ、原告らも新規開店が全館を商業使用した開店でないこと自体は出店を検討するに際し重視していたとは認められず、これに大店法による客観的制約、賃料設定上の配慮、本件建物の新規開店時の体裁等を総合考慮すると、被告は原告らに対し本件賃貸借契約締結に先立ち、更に被告の右使用方針に関する事項を告知説明すべき信義則上の義務があったということはできない。

四  争点3(本件賃貸借契約終了の原因、時期と明渡時期)について

1  原告らは、被告に対し、それぞれ平成五年三月三一日配達の内容証明郵便により、信頼関係破壊を理由として同年四月一四日限り本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしたが、前記認定事実によっては、原告と被告との賃貸借契約上の信頼関係が破壊されたとは認めるに至らないから、本件賃貸借契約が同日終了したということはできない。

2  原告塩田の契約終了の原因、時期と明渡時期

本件賃貸借契約には契約期間内にあっても原告塩田は六か月の予告期間をもって右契約を解除することができる旨の約定があるところ、被告は、原告塩田に対し、同年四月一〇日配達の内容証明郵便で、原告塩田の解除の意思表示を本件賃貸借契約に定める契約期間内における解除の申入れとして受け入れることにした旨通知した。そうすると、原告塩田との契約は同年九月三〇日をもって終了したと解される。また、原告塩田は、営業を終了して、同年四月一二日被告に対し賃借した区画の店舗の鍵を交付したが、被告は、右鍵の交付を受けるに際し、本件賃貸借契約終了に伴うものではなく管理上の都合により返却を受ける旨を述べており、また、原告塩田はガス・水道設備等を残置していた(原告塩田の原状回復義務は後に説示するとおり。)のであるから、原告塩田は、同年四月一二日右店舗区画を明け渡したということはできず、右区画の明渡しは右契約終了時になされたと解される。

3  原告ロベの契約終了の原因、時期と明渡時期

被告は、平成五年四月二八日、原告ロベに対し、その同年三月三一日の解除の意思表示を合意解除の意思表示として受け入れる旨の意思表示をしたのであるから、原告ロベとの間の契約は同年四月二八日を以て合意解除により終了したと解される。また、原告ロベは、営業を終了して、同年四月一二日被告に対し賃借した区画の店舗の鍵を交付したが、被告は、右鍵の交付を受けるに際し、本件賃貸借契約終了に伴うものではなく管理上の都合により返却を受ける旨述べており、また、原告ロベは、ガス・水道設備等を残置していた(原告ロベの原状回復義務は後に説示するとおり。)のであるから、原告ロベは、同年四月一二日右店舗区画を明け渡したということはできないが、被告の右意思表示は同年四月二八日をもって明渡しを受けるとの意思表示を含むというべきであるから、右区画の明渡しは同日なされたと解される。

4  原告らの敷金返還請求権

(一) 原告らは、被告に対し、いずれも本件賃貸借契約に際し敷金三八〇万円を交付し、その後右2、3のとおり本件賃貸借契約の終了により賃借した本件各店舗区画を明け渡した。原告らは、いずれも被告に対し平成五年三月三一日までの賃料を支払った。

(二) 原告塩田の平成五年四月一日における月額賃料は九万八〇〇〇円であるから、同年九月三〇日までの未払賃料額は合計五八万八〇〇〇円である。そうすると、原告塩田は被告に対し、同日、敷金返還請求権三二一万二〇〇〇円を発生取得したことになる。

(三) 原告ロベの平成五年四月一日における月額賃料は一一万二〇〇〇円であるから、同月二八日までの未払賃料額は一〇万四五三三円である。そうすると、原告ロベは被告に対し、同日、敷金返還請求権三六九万五四六七円を発生取得したことになる。

五  争点5(原状回復義務の有無と損害額)について

1  原告らは、いずれもスケルトン状態の本件各店舗区画部分に内装、ガス・水道設備等を施して本件建物に入居し、その一部を残置して明け渡したところ、本件賃貸借契約には、本件原状回復の約定があり、被告は原告らに対し、いずれも平成五年四月一〇日配達の内容証明郵便により本件各店舗区画部分を原状に復して明け渡すよう求める旨通知したのであるから、原告らは被告に対しそれぞれ明渡しに当たり本件各店舗区画部分をスケルトン状態の原状に回復する義務がある。ところで、原告らは、被告に対し借家法五条により内装、ガス・水道設備等につき造作買取請求権を行使したとするが、右条項の造作とは、建物に付加され、その使用に客観的便益を与える物であって、賃借人がその建物を特殊の目的に使用するため特に付加した設備は含まれないところ、原告らが施した内装、設備等は、原告らの飲食店を営業するための特別な内容ないし仕様のもので、他の飲食店、殊に営業種目の異なる飲食店や、飲食店以外の業態等には客観的便益を与えるものではないから造作とはいえず、仮に造作といえるものがあったとしても、その具体的内容や設置につき被告の同意を得たか否かは証拠上明らかではない。そうすると、被告に買取りの効果を生じないか、買取価格は不明であるといわざるを得ない。なお、原告らに対し原状回復費用を請求することが権利の濫用であると認めるべき事情はない。

2  被告の損害額

(一) 原告ロベの賠償額

原告ロベの原状回復義務違反による被告の損害額は、被告が丸金佐々木建設株式会社に支払った一〇三万二八八四円と認められる。

(二) 原告塩田の賠償額

原告塩田の原状回復義務違反による被告の損害額は、原告ロベのそれより若干多い程度であると認められ、具体的には原告ロベの賠償額に、佐竹建設株式会社の見積額比率を乗じた額である一〇二万六〇八四円(1,032,884×3,274,500÷3,296,200)と認めるのが相当である。

六  結論

1  被告が原告らに対し、本訴第三回口頭弁論期日において、原告らに対する原状回復義務違反による損害賠償請求債権をもって原告らの敷金返還請求債権と対当額で相殺する旨の意思表示をしたことは当裁判所に顕著である。

2  原告塩田の被告に対する本訴請求は、敷金返還請求権三二一万二〇〇〇円から損害賠償請求債権一〇二万六〇八四円を控除した二一八万五九一六円とこれに対する訴状送達の日の翌日である平成五年七月二〇日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却する。

3  原告ロベの被告に対する本訴請求は、敷金返還請求権三六九万五四六七円から損害賠償請求債権一〇三万二八八四円を控除した二六六万二五八三円とこれに対する訴状送達の日の翌日である平成五年七月二〇日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却する。

(裁判官納谷肇)

別紙物件目録〈省略〉

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